間抜けの実存に関する文献。

■生産性の限りなくゼロに近い一日であったことよ。

■たぶんこちらに引っ越してきて初めて、乗り過ごした。
必死になって本を読んでいて、なんかずいぶん人が乗ってくるなぁ、荻窪かぁ? とか思っていたら、走り出して車内放送が「次は高円寺〜」というまでまるっきり気づかなかったよ。
慌てて高円寺で降りたら下りの電車がなかなか来ないし。
別にそれで仕事やる気なくなったわけではないですが。違う方面のやる気は俄然出てきたんだがなぁ。困ったもんだ。そして、一日金曜日気分がぬぐえないまま日が暮れたのであった。

■学生時代の中国哲学演習の授業だったと思うが、先生が「思いやりとは、自分の『思い』を『遣る』ということだ」という話をしていたのを時々思い出す。
たとえば誰かが失恋して悲しんでいたとして、その人の気持ちは同じ失恋して悲しい思いをしたという経験があれば、その「思い」を「遣る」ことができるということだ。身近な人を亡くした人の気持ちは、同じ身近な人を亡くした人が一番分かるはずだ。
年を取るということは、そういう経験を積んでいくことだろうと思う。
9月に母の兄が亡くなった。まだ50代だった。
葬式の時に、母親が「まさか自分の身内でこんなことがあるなんて」と言っていたが、くも膜下出血はそう珍しい病気でもない。でも、身近で起こるまで誰も実感などできない。これは、私の両親にも、ひいてはいずれ自分にも起こりうることなのだ。
若い人が強いというのは、たぶん経験の少なさによるものなのだろうな、と思う。
今は、寸断された道路を見てはもどかしい思いがするばかりだ。

■週末の天気が晴れから雨に……いる、雨女、絶対にいる。