『犬の記憶』

「いったん逃げた風景のかずかずは、僕の内部でもうひとつの風景となってある日とつぜん立ち現われてくる。それは、まったく時空を超えた視覚のなかと脈絡を絶った意識のなかに、ふと再生されてくるのである」。写真は現在と記憶とが交差する時点に生ずる思考と衝動によるもの、という作者の、自伝的写真論。巻末に横尾忠則による森山大道論を付す。

とうとう読んでしまった。
以前読んだ『写真との対話』は、自分にとっての写真を撮るという行為について書かれていたが、『犬の記憶』は写真に写そうと思ったもの、写ったものについて書かれているのだと思う。
誰しもが持っている「過去に見たはずの景色」を探してシャッターを切る。決してあの記憶の景色には二度と出会えないし、写真にも写らない。それでも見たはずの景色を探して彷徨い歩く。そして、写真に焼き付けられた景色は化石化してゆく。
ひどく感傷的。格好いい。今にも風化して崩れそうなざらざらとした粗いあの写真たちは、この人だから撮れるのだと思った。